アメリカ最古のミシンに関する特許は、1842年にジョン・ジエー・グリーノフが考案したものです。 これは皮など堅い素材用に設計されたもので、針に先行して穴を開ける突き切りを併用する方式でしたが、実用化はされなかったようです。 アメリカで2番目の特許はベンジャミン・W・ビーンの考案したものです。これは布送りに独特な方式があり部分的にミシンに取り入れられることになります。 アメリカで3番目の特許は1843年のジョージ・コーリスで、皮を縫う機械を考案したグリーノフの発明を更に改良したものです。 1844年、4番目の特許のジェームス・ロジャースもベンジャミン・W・ビーンの考案に改良を加えただけのものです。 このようにアメリカではミシンに繋がる技術のひとつ、といった発明・特許から始まっていきました。
1846年、アメリカで5番目の特許はエリアス・ハウの考案です。 彼はボストンへ出て機械工として働いていましたが、工場へ来た客が 「ミシンという新しい機械が完成すれば大きなビジネスが出来る」と話しているのを たまたま聞くと、工場を休んで2年という歳月をかけアメリカで5番目の特許を獲得します。 彼の考案は現在の本縫いミシンの元となる発明でした。 針と糸のタイミングの設計理念、ボビンケースとボビンの考案など完成度の高さは目を見張るものがあります。 ですがこの素晴らしい考案も、やはりというべきか時代に合いませんでした。 特許を取得したものの事業化は困難を極めることになります。
その後エリアス・ハウは失意のうちにイギリスへ渡ると、自分の発明の英国での特許権をウイリアム・トーマスに250ポンドで譲渡してしまいます。そのまま3年間イギリスで生活したエリアス・ハウは1849年に帰国しますが、アメリカでの状況は驚くほど大きく変化していました。
3年前にはさっぱりだった彼の発明ですが、その頃にはあちらこちらで彼の特許を使用したミシンが無断で製造されていたのです。
それを放っておくわけにはいきませんので、エリアス・ハウは自分の発明を守る為、
特許訴訟による法廷闘争を始めることになります。